ツール・ド・東北参戦記 その2~気仙沼から石巻 邂逅の旅
前回の投稿に引き続いてのツール・ド・東北。やっと本番、気仙沼ワンウェイフォンドのレポート。
朝5時半に宿を出て会場に向かいますが、この日は快晴。東北とはいっても暑いほどの1日になりました。昨年まではスタート会場は気仙沼港脇に立つホテル観洋でしたが、今年からは旧フェリー乗り場が「ピエ7」という商業施設に衣替えして、こちらが会場となっていました。
気仙沼といったら、港からフェリーに乗って大島まで。船上からカモメにかっぱえびせんなど餌付けしながら短い船旅を楽しむ。というのが名物だったわけですが、今年、気仙沼と大島を結ぶ、気仙沼大橋が開通したこともあって、伝統のフェリーも日常の脚としては使われておらず、休日などに遊覧船、観光船として使われるのみになったとのこと。それもあって、フェリー乗り場が新しい町おこしの商業施設として生まれ変わったそう。さらにピエ7の向かいに新しい別の施設も建設中でした。そんなこともあって、気仙沼の港周辺は盛大に工事中ですが、来年には新しい施設もオープン予定とのこと。また来年、新しい風景をみてみたいものです。
受付など済ませても、スタートまでは時間ある(少人数グループで3分おきにスタートするので最後のグループが出発するまで1時間はかかる)のですが、その間、おしゃべりで会場を盛り上げてくれるのが、ウィーラースクールでお馴染みのブラッキー中島さんというのも何気に豪華です。気仙沼会場はメイン会場の石巻に比べればまったくの小規模ですが、なぜか力の入り方を感じますね。そしてなんといっても、この日の来賓挨拶がツール・ド・東北の大会メインスポンサー、ヤフーの社長、川邊健太郎さんだったのにはビックリしました。川邊さんは千葉の館山に在住されているそうで、先日の台風15号でも近隣に大きな被害が出たと言っていました。ワタシの地元・木更津も大きな被害が出ましたが、館山はその比ではないでしょう。大変な中、わざわざマイナー会場にヤフーの社長が自ら出張って。。。ZOZO(千葉県出身の前澤氏が創業して本社も千葉にある)買収したときの会見でも、引き続き会社の地元の千葉に貢献していくーとおっしゃっていたので、個人的にシンパシーを感じていたのです。なんかいろいろと嬉しい感じのスタート前セレモニーでした。
さて。さっぱりスタートまで話が進まず、なので、道中に撮った写真にキャプションを付ける形で振り返ってみたいと思います。もともと、東日本大震災の復興ボランティアでこの地方を訪れていたので、あの場所は今はどうなったかなー、あの仮設商店街で頑張っていた土産物屋のおばさんは元気かなー、といった邂逅を求めているのが参加モチベーションでもあるので、各所に楽しみが鏤められているのです。。。
最初のエイドステーション、波路上(はじかみ)・伝承館では、昨日気仙沼駅前で看板のお姿で出迎えてくれた、ご当地ゆるキャラ歴35年の大ベテラン、ほやボーヤ先生が三次元に飛び出してお出迎えくださいました。ありがとうございます。補給食は今年も安定の気仙沼名物・クリームサンドとイチゴをそのまま凍らせたシャーベット。こちらの会場は、津波の爪痕が大きく残る気仙沼向洋高校の旧校舎を震災遺構として残して、記録映像などを体験できる伝承館として、今年の3月に開館したのだそうです。語り部の方による説明なども行われていました。
つづいては蔵内エイドステーション。漁港の奥様方に、手作りのカボチャ饅頭とワカメ汁で今年も元気にお出迎えいただきました。こちらのエイドステーション、ツール・ド・東北の開催当初には無かったエイドで、第2回か3回か4回か?の大会から追加になったものと記憶しています。そのエイド初登場の時に南三陸160㎞フォンドで参加しましたが、会場ボランティアの方々の大歓迎っぷりがすごかった。「蔵内がやっとエイドステーションに加わったから、私たちもみなさんを応援できるのが嬉しい!」という現地の皆さんのお言葉に感激したものでした。
エイドステーションではありませんが、今年もコースをちょっと外れて、南三陸さんさん商店街に寄り道。南三陸にボランティアや観光で来られた人にはお馴染みのさんさん商店街。最初に来た時はもちろん、砂利の地面にプレハブ建ての仮設商店街でしたが、いまはすっかりキレイに立派になって、通るたびに感慨深いです。仮設の頃にお邪魔してお土産を買ったお店もステキな店構えになって営業していましたが、店主のおじさん、おばさんは相変わらずでした。記念写真を撮りましょうと言ったら、店主オジサンがカメラマンの役割を譲らず、なぜかワタシ、お店のおばさん、偶然買い物に来ていた通りすがりのレディたち、の謎の4名での写真となりました。。。お菓子屋さんで、ソフトクリームを補給食として購入。南三陸のシンボル、モアイ像を眺めながらいただきました。
南三陸ホテル観洋エイドステーションで、観洋の従業員のみなさんと記念撮影。美女に囲まれて表情がヤバいですが、大丈夫でしょうか。。。フカヒレスープの補給もいただいて、再スタートで走り出したところで、観洋の女将さんとすれ違い。南三陸の有名人である女将さんとも記念撮影を。去年は女将さんに会えず仕舞いだったので、今年は良かったナー。いまも変わらずパワフルで元気ハツラツでした。
さて。エイドステーションでも何でもありません。南三陸の戸倉という地区。こちらには震災以後のボランティアで何度か訪れています。荒れ放題になった海岸を片付けたり、畑の瓦礫処理などなど。そしてこの写真の場所には当時、食堂があって、みんなそこでご飯をいただいていました。時にはボランティアの現場までお弁当をデリバリーしてくれたり。戸倉でボランティアに参加した人たちは、みんなこちらのご主人のお世話になったものです。ワタシが最初にツール・ド・東北に参加した時(4年前?5年前?)にはまだお店も健在で、寄り道してご主人にご挨拶などしたのですが、昨年、ひさしぶりに通りかかると、食堂はなくなっていました。道端で応援していた地元の方がいたので聞いてみたところ、ご主人は数年前にガンのためにお亡くなりになったのだと。身体の調子を崩す前にお店は閉めてしまったのだけれど、ガンが見つかって、あっという間のことだったそうです。非常に残念でしたが、ご主人のご家族や食堂の方にもよろしくお伝えください。また来年通りかかったら、足を止めてご挨拶しますー。と言って昨年この、かつての食堂の前を通り過ぎたのでした。今年も前を通りかかると、地元の皆さんが変わらず応援してくれてたので足を止めてお話しを伺うと、今年は食堂のご主人の奥様も応援に加わってくださっていました。事情をお話しすると「覚えていてくれてありがとうございます」と、ありがたいお言葉。戸倉でボランティア活動したみなさん、チカラさんはお亡くなりになりましたが、奥様が元気にお出迎えくださいましたよー。また、来年もここで足を止めて記念撮影をしたいものです。
そして、戸倉同様にボランティアで幾度となく訪れた神割崎にて、ボリューミーなカレーをいただく。こうした食事は前出の地元の奥様方が、前日などに集まって作ってくださっているのだそう。エイドステーションの現場などにいない沢山のみなさんにも、支えられているんですなぁ。。。神割崎では恒例の、南三陸のご当地キャラ・オクトパスくんと記念撮影したかったのですが、残念ながら休憩のお時間だったとのことで、また来年のミッションに持ち越しということで。
オフィシャルマップ上では最後のエイドステーションとなっている北上エイドでウニメカブコールをハイテンションで叫び続けていた地元JKと。怪しい者ではありませんので通報しないでください。この娘らも震災の時は小学生だったんだなぁ、と思うと感慨深いものがありますなぁ。
本来は別のコース、女川・雄勝フォンド専用のエイド、河北エイドステーションがなぜか気仙沼ワンウェイフォンドのお休み処になっているので、一休み。こちらもボランティアの際に何度か立ち寄ったお馴染みの「上品の郷(道の駅)」のキャラクター、おさとちゃんと、地元のお姉さんと記念撮影。津波で大変な被害を受けた大川小学校の近くということもあって、犠牲者の魂を慰めるお地蔵さんが新しいキャラ(?)に加わっていました。
そしてゴール。走行ログによれば、エイドでお休みしてる時間などを差し引いた、移動時間(自転車こいでいる時間)が3時間58分で、ちょっと目標にしていた4時間切り(平均時速25㎞/h以上)達成でよかった。しかしじつのところ、この2日前から結構な腰痛でありまして、まぁ元々の腰痛持ちなので、痛さもなんとか飼い慣らしつつ走れるかと思ったのですが、今回はちょっとヤバいかもと思うレベルでありまして、、、それでもエイドステーションごとにエアーサロンパスを腰に吹き付けまくって、なんとか騙し騙し走ったのでした。おかげでなんとか無事に完走できましたが、、、腰痛で無理して頑張ったのがトリガーになって、昔やっちまった座骨神経痛が東京に戻ってから再燃。この後長く苦しむことになる、ということは、このときのワタシはまだ知らない(予測はしていたが)。